漢方放浪記100歳まで美健康

外資系商社マンの薬剤師が、漢方による体質改善がどのようなものなのか、調べつくし自らも試し体得していきます。

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漢方薬の歴史 

漢方は、日本の伝統医学

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黄帝内経と傷寒論

目次

日本での漢方の確立

漢方は、中国から伝わったものですが、日本の伝統医学です。5世紀頃に、中国または朝鮮半島経由で伝来した医学が、その後1400年以上かけて日本で独自の発展を遂げたものです。

中国起源の伝統医学は、中国では中国では「中医学」、韓国では「韓医学」と呼ばれており、起源は同じながら、漢方とは異なった医学体系を形成しています。

歴史を遡れば、漢方という呼称は江戸時代まで存在しなかったのです。

江戸時代にオランダから伝来した医学とそれまで中国伝来の医学を区別されるために、前者を蘭方と呼び、後者を漢方とよぶようになったのです。

中国での伝統医学の確立(日本漢方の元となる) 

中国では漢の時代(紀元前202から220)までに、神農本草経、黄帝内経(こうていだいきょう)、傷寒論の三大古典が著され、中国伝統医学の基礎が確立しました。

金元時代(日本のは平安時代から室町初期)には、陰陽五行論を用いて漢方医学の基礎と臨床が統一的に体系化され、中国伝統医学の一応の完成をみました。

中国医学および日本の漢方の医学書・草本の歴史

黄帝内経

春秋戦国時代以降の医学論文の集大成したもので、素問(人体の生理、病理)と霊枢(鍼灸術、解剖)からなり、不老不死を追求した中国最古の基礎医学書である。

そこに一貫して流れる理論基礎は、陰陽五行論です。

神農本草経

中国最古の本草書であり、中国:後漢(1-2世紀)、日本:弥生時代に医薬書として成立したようですが、365種類の薬物が記載されいます。

傷寒論、金匱要略

後漢時代に張仲景(150-219年)が編著した診断・治療マニュアルです。傷寒と呼ばれる急性熱性疾患に対応する方剤が記され、傷寒以外の疾病(雑病)の診断・治療マニュアルとして金匱要略も著しました。

新修本草

西暦659年、蘇敬らは新修本草を著しました。この中国最古の勅選本草書で、別名唐本草と呼ばれており、仁和寺に写本が残されています。

本草和名

918年に深根輔仁により著された日本現存最古の薬物辞典

和剤局方

大観年間(1107年 - 1110年)に中国国家機関の関与のもと、中国にて発行された医薬品の処方集の名称。

経史証類大観本草

北宋時代の1108年に編纂された経史証類大観本草は、図版も優れ、文献性も高い。

本草綱目

明時代の1596年に李時珍が著した本草綱目には、おおよそ1900種類の薬物が収載されおり、我が国の江戸時代以降の本草学(小野蘭山)に大きな影響を与えました。

大和本草

養生訓で知られる貝原益軒は、1709年に本草綱目所載の薬物と我が国の民間薬をあわせた大和本草を著しました。

薬徴 

江戸時代(1771年)に、吉益東洞よって著され、薬能が明らかな53種の薬物が収載された薬物書です。

近代日本での漢方 

日本で保険薬価に収載されている医療用漢方エキス製剤は、147種類あります。

そのうち中国書籍を出典とする方剤が120種類(約84%)、日本書籍を出典する方剤が23種類(16%)となります。

 

中国書籍を出典とする120方剤のうち、傷寒論または金匱要略を出典とする古いものが69方剤と半数以上を占めており、古法と呼ばれています。

残りの51方剤は、和剤局方万病回春などの宋代以降の書籍を出典とするもので、後世方と呼ばれてます。

 

ちなみに、現在の日本での医薬品集である日本薬局方では、初版(1886年)では、89品目の生薬が収載されていたにすぎませんが、第16(2011年)改正日本薬局方では、生薬216品目、漢方処方エキス22品目が収載されるまでになっています。

 

日本薬局方では、生薬や処方の有効性や品質を担保するために、多種多様の品質規格が規定されています。生薬のほとんどが、中国から輸入されてきますので、農薬の心配や有効成分が本当に入っているのかなど心配になると思いますが、日本薬局方に収載されているものは、他の医薬品同様安心して服用ができるのです。

 

引用:好きになる漢方医学:喜多敏明著、講談社、日本薬局方の歴史と生薬の基礎原料、横浜薬科大学教授寺林進、昭和薬科大学漢方治療薬教育研究室佐竹元吉、日本薬剤師研修センター 漢方・生薬薬剤師口座テキスト3

 

 

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